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市橋先生の歴史講座は本当に楽しいです。何度も以前のものも見ています。たのしいです。
市橋先生の講習は本当に楽しいです。シンプルにわかり易くその上に深いご洞察の解釈を加えられて素晴らしいです。これからも応援していますので宜しくお願い致します。
いつも先生のレクチャーはとても素晴らしいです。ありがとうございます😊大坂城に天海上人が着用したといわれる甲冑があります。大坂の陣か関ヶ原なのか?普通の坊主ではなく、元は名だたる武将だったことは感じられます。かなり立派な甲冑で、兜に麒麟がありました。「えー‼️」叫んでしまいました。大河ドラマ「麒麟がくる」の脚本家さんや明智光秀、または明智家ゆかりの誰か=天海上人説は、この兜からなのでしょうか?
1981年正月3日間にわたって放送された司馬遼太郎原作のドラマ『関ヶ原』は(近年の映画は評価しない)、東軍トップと西軍トップをメインにしているため、末端の描写がほとんどなかったのを補完できて、こういう参考資料的な知識は超ありがたい。
随分と長距離をを移動しているんだなあといつも思いますが、何万という軍勢が移動していく時どんな所でどんなふうに休憩したか、野営をしたのか、そこら辺に非常に興味があります。武将たちは神社やお寺の本堂を借りる事はあったでしょうが、一般の足軽や武者などはどうしたのかなあ、食料の調達はどうしたんだろうか、とか。途中の村々から供出させるとしても軍勢の人数の方がはるかに多い状態でどうなっていたんだろうと考えてしまいます。
山岡荘八氏の徳川家康で歴史を学んだが更に興味深く聞かせていただきました。日本国の基礎は徳川家康により花咲いたと感ずるのです。
天海が関ヶ原の戦いに参加していた!天海はやはり明智光秀なのか。家康・光秀密約は信長の頃からあったとみたい。皆さん常人ではない。文書などあるはずもない。信長にしても何処に消えたか不明です。
五奉行のうち長束、増田は稲沢出身の可能性大です。
先生!言葉の節々に「あの〜」とか「あの」とか「あのぅ〜」とかこの回は連呼しているのがとっても気になって本編が耳に入って来なくなりました、、、苦言ですんません、、、ちなみに「なるほど歴史ミステリー」は毎回楽しみにしています。今の職場の同僚たちが実は350年前の先祖が徳川家臣団の一員として同僚だったのね、ってことも知ることができて職場での飲み会のいい話題づくりが出来てしまいました。これからもずっと息災で楽しい歴史解説をしてください、も〜れつ応援しています。
!さ
【南宮山城】と呼べるほどの恒久的なモノはない!
最後の締めに〜「相手の豊臣の事は一切言わなかった…」西軍も東軍も豊臣家臣団同士ですよ。しかも前半で【豊臣家臣たちの内部分裂】と述べているにもかかわらず・・・東軍=徳川 西軍=豊臣 と単純に区別できる話ではない。東軍に徳川家康公が居た事だけが事実です。言い換えるならば⇒徳川派豊臣家臣VS反徳川派豊臣家臣。豊臣と仰るなら、秀頼と茶々はこの時点で徳川寄りの中立です。全体に解釈が古臭いよ❗️
鳥羽伏見の戦いで敵前逃亡。三河武士らしい。
市橋先生の歴史講座は本当に楽しいです。何度も以前のものも見ています。たのしいです。
市橋先生の講習は本当に楽しいです。シンプルにわかり易くその上に深いご洞察の解釈を加えられて素晴らしいです。これからも応援していますので宜しくお願い致します。
いつも先生のレクチャーはとても素晴らしいです。ありがとうございます😊大坂城に天海上人が着用したといわれる甲冑があります。大坂の陣か関ヶ原なのか?普通の坊主ではなく、元は名だたる武将だったことは感じられます。かなり立派な甲冑で、兜に麒麟がありました。「えー‼️」叫んでしまいました。大河ドラマ「麒麟がくる」の脚本家さんや明智光秀、または明智家ゆかりの誰か=天海上人説は、この兜からなのでしょうか?
1981年正月3日間にわたって放送された司馬遼太郎原作のドラマ『関ヶ原』は(近年の映画は評価しない)、東軍トップと西軍トップをメインにしているため、末端の描写がほとんどなかったのを補完できて、こういう参考資料的な知識は超ありがたい。
随分と長距離をを移動しているんだなあといつも思いますが、何万という軍勢が移動していく時どんな所でどんなふうに休憩したか、野営をしたのか、そこら辺に非常に興味があります。武将たちは神社やお寺の本堂を借りる事はあったでしょうが、一般の足軽や武者などはどうしたのかなあ、食料の調達はどうしたんだろうか、とか。途中の村々から供出させるとしても軍勢の人数の方がはるかに多い状態でどうなっていたんだろうと考えてしまいます。
山岡荘八氏の徳川家康で歴史を学んだが更に興味深く聞かせていただきました。日本国の基礎は徳川家康により花咲いたと感ずるのです。
天海が関ヶ原の戦いに参加していた!
天海はやはり明智光秀なのか。家康・光秀密約は信長の頃からあったとみたい。皆さん常人ではない。文書などあるはずもない。信長にしても何処に消えたか不明です。
五奉行のうち長束、増田は稲沢出身の可能性大です。
先生!言葉の節々に「あの〜」とか「あの」とか「あのぅ〜」とかこの回は連呼しているのがとっても気になって本編が耳に入って来なくなりました、、、
苦言ですんません、、、
ちなみに「なるほど歴史ミステリー」は毎回楽しみにしています。
今の職場の同僚たちが実は350年前の先祖が徳川家臣団の一員として同僚だったのね、ってことも知ることができて職場での飲み会の
いい話題づくりが出来てしまいました。
これからもずっと息災で楽しい歴史解説をしてください、も〜れつ応援しています。
!さ
【南宮山城】と呼べるほどの恒久的なモノはない!
最後の締めに〜「相手の豊臣の事は一切言わなかった…」西軍も東軍も豊臣家臣団同士ですよ。しかも前半で【豊臣家臣たちの内部分裂】と述べているにもかかわらず・・・東軍=徳川 西軍=豊臣 と単純に区別できる話ではない。東軍に徳川家康公が居た事だけが事実です。言い換えるならば⇒徳川派豊臣家臣VS反徳川派豊臣家臣。豊臣と仰るなら、秀頼と茶々はこの時点で徳川寄りの中立です。全体に解釈が古臭いよ❗️
鳥羽伏見の戦いで敵前逃亡。三河武士らしい。